コロナの前と後でみる、東京の私。【2020年1月~3月】

カラスたちの日記

人類に突然降りかかった新型コロナウイルス感染症の影響。絶賛ステイホーム真っただ中の烏丸です。今を生きる人間の備忘録として、私の生活がコロナの前後でどのように変わったかを書き留めておこうと思います。

オリンピックイヤーになるはずだった2020年。お正月に舞い込んできた小さなニュース

NYで年越しを迎えた私は、日本へ帰国する空港のラウンジでそのニュースをはじめて知りました。

「中国の武漢という街で、謎の肺炎で死んでいる人がいるらしい。」

ふと、Googleマップで武漢を検索。北京からも上海からも遠い町。一生、行くことはないだろう———。

自分とは関係のない場所で起きている小さな事件という印象でしかありませんでした。2020年は東京でオリンピックが開催されることもあり、日本に帰国すると、いつものお正月よりも明るい雰囲気が立ち込めていました。株価も絶好調。きっと多くの外国人が日本を訪れて、観光するはず。

東京はホテルの建設ラッシュが続き、「お・も・て・な・し」の名のもと、飲食店も観光産業も大盛り上がり。夏に向けた様々なイベントが計画され、人々の高揚感があふれていました。

私は、仕事で忙殺されるなか、空港で知った「武漢」という街の名の記憶も薄れていたのですが、テレビのニュースであの謎の肺炎がパラパラと報道されるようになっていきました。

「武漢の市場で大流行しているらしい」

中国は「ウェットマーケット(生鮮市場)」で果物、海産物、食肉などが販売されているのですが、武漢のにあるウェットマーケットの「華南海鮮卸売市場」では、どうも野生の動物、蛇とかヤマアラシ、ワニなども販売されていて、そこから何かの感染症が出ているのではないかということで、謎の肺炎は原因が特定されたかのような内容でした。

その時も私は、蛇やヤマアラシを食べることは一生ないから大丈夫と、浅はかな見遠しで高をくくっていたのです。

健康のためにホットヨガやジムに通いながら、友人と新年会を楽しみ、仕事に励む。いつもと変わらぬ毎日をいつものように過ごしていました。一つ変わったことといえば、不動産の売却に取り掛かったことです。オリンピックが終わってもなお、時価の値上がりが続いているロンドンのような都市もありますが、日本の場合は少子高齢化の人口減少速度が止まらず、明らかな不動産の過剰供給がなされている点を考慮すると、オリンピックのあとは下落に傾くような気がしていたためでした。

そんな私の予感とは裏腹に、街中では小さな変化が表れはじめます。

マスクがなくなりはじめた1月の東京…。見慣れた中国人の爆買いの光景に辟易

厳密にいうと、マスクが薬局で買えないことに気が付いたのは1月20日ごろからでした。まもなくやってくる春節を前に、中国からの観光客が爆買いを始めているという噂が流れたのが、その一週間後。近所の薬局で50枚入りの箱で売られていたマスクがなくなりはじめました。

このころになると、ニュースでも盛んに「武漢の肺炎で人がバタバタ死んでいるらしい」といった表現に変わっていきました。しかし、緊迫感はありません。家族のために、親戚のためにとマスクを爆買いしていく中国人観光客。その必死さから、我々は何かを感じ取るべきでしたが、爆買いする中国人を見慣れてしまったせいか、この時、今どういう局面におかれているのか気が付くことができませんでした。

コンビニに行くと3枚入り120円くらいのマスクが売られていました。でも箱のマスクに比べると割高です。「いつか、箱マスクを見かけたら買っておこう」と思ってスルーしてしまいました。ここから3か月以上たっても、薬局でマスクが元のように販売されることがないとも知らずに。

中国とWHOへの疑念が深まった節分。ヨーロッパがパンデミックに陥る

2月に入ると、実際に武漢の肺炎で死亡しているとされる人の人数が報道されはじめました。ただ中国の人口ボリュームに対して、それが多いか少ないか…。よくわからないというのが本音で、中国の言い分はともかくとして、「人から人への感染リスクは少ない」「中国から外国人を避難はさせることは勧めない」といった、WHOからのポジティブな見解をもとに、人々は危機感を感じることはありませんでした。ただ、武漢で亡くなった人の人数の急激な上昇に、少し怖さを感じたのもこのことです。しかし、WHOは「(中国への)渡航や貿易を不必要に妨げる措置は必要ない」と続けました。2月4日のことでした。

起きてしまったことは仕方ないけれど、この2020年の節分をまたいだ当たりがターニングポイントになったように感じます。なぜなら、「WHOが言っているから」という根拠になってしまったからです。ここから一週間ほどで、イタリアを中心に、フランス、スペインでいっきにパンデミック状態に陥りました。日に日に信じられない人数の人が亡くなっていく様子が報道されはじめたのです。

日本は保健所や医療機関のリソースの関係でPCR検査を当初から絞る計画が発表されました。イギリスは集団免疫をつけるという独自の戦略を発表するも、すぐに方向転換。

一番ひどい、イタリアの状況から、重症化した場合、最後は人工呼吸器につないでもらえるかどうかで生死が分かれるといった悲惨な治療の実態が明らかになってきたからです。どの国も医療崩壊をどのように防ぐかという点に重点が置かれるようになるまでに、少し時間がかかりましたが、日本は初動の戦略発表はスムーズでした。

どうしてPCR検査を絞らねばならないのか?

医療崩壊を防がないとならないのか?

この2つが一般に理解されるまでにはだいぶ時間がかかりましたが。

また日本はクルーズ船の対応でも、受難でした。日本人が多く乗っていたこともあり、人道的にも受け入れざるを得なかったのは仕方ないけれど。「乗船者が公共交通機関で帰宅」というニュースが流れた2月20日は、さすがに明日は横浜に近寄らないようにしようなどと思ったものです。横浜行く予定なんてそうそうないけれど。その後、現場で対処にあたった厚生労働省の職員が感染発覚。しかも霞が関に出勤。新型のウイルスで潜伏期間や発症タイミングなど、何から何まで不明ななか、恐怖を感じ始めたのもこのころです。

クルーズ船のイメージの影響で、船旅のみならず、バスツアーなどが軒並みキャンセルされはじめたのもこのころでした。「観光業への影響大」そんな話題で持ちきりになりました。

そして2月27日、まことしやかに噂されていた学校の休校が、政府から正式に指示として発表されました。木曜の夜でした。教育の現場のみならず、子どもがいる家庭は、パニック状態に。稼働で、実質1日しか準備期間がなかったからです。

私は子どもがいませんが、「せめて月曜日に判断していてくれたらだいぶ違ったのにな」と感じました。しかし、このころから、政府の変なタイミングでのさまざまな発表が続くことになります。

オイルショック並みのトイレットペーパー不足。トロッコ問題のような選択が連続

公立学校の休校とともにはじまった3月。WHOは3日に「これまでに経験したことのない事態」という声明を発表、9日にはイタリアがロックダウン(都市封鎖)し、ヨーロッパ各国もそれに続く事態に陥ります。

日本はPCR検査の数を絞っているので、実際の感染者数はみんなよくわからないなぁと思ってはいたものの、死亡者数は圧倒的に少ないこともあり、子どもたちが学校に行けなくなって家にいるという不思議な生活がはじまりました。

一方で、「観光業界をどう支援するか?」という議論がはじまったりしていたわけですが、実際問題、日常生活で一番困ったことがマスクに続いてトイレットペーパーが消えてしまったことです。歴史の教科書でオイルショック時にトイレットペーパーを買いあさる人々がいたことに、おもしろい現象だなと思っていたのですが、まさかあの歴史が繰り返されるなんて。トイレットペーパーがなくなる!というデマ情報に多くの人が脅かされると、本当になくなる。結局、普通に買えるようになるまでの3週間ほど、薬局を何軒もはしごして毎日買いまわるようなお年寄りが続出したりするのです。仕事をしている世代が一番困る。薬局をはしごする時間なんてないのだから。

そんな街中のプチパニックのなかで、だんだんと外出自粛によってもたらされる被害が、観光業どころではないことが明るみになっていきます。

密集、密閉、密接の「3蜜」を避けましょう——。

この3蜜という表現がイマイチわかりづらいのはいったん置いておくとして、3蜜の業態として名指しされたスポーツジムが続々と休業していく事態に。ほかにも、クラスターが起きたライブ会場をはじめ、各種コンサートや舞台などの興業が中止や延期を余儀なくされました。

補償はしてくれるのか?

そんな議論がいろんな場所ではじまりました。他人事ではなく、自分事になった人が増えてきました。

誰かを助ければ、誰かが死ぬかもしれない——。

まるでトロッコ問題のような状況があちこちで発生したのです。でも、この時、私はお金で解決できるうちはまだマシだなと思いました。なぜなら、すでにパンデミックしているヨーロッパでは、人工呼吸器不足がいっそう深刻化し、持病がある人やお年寄りを見捨てて、生存確率の高い若者に譲るといった事態になっていたからです。もし、日本が同じような状況に陥ったら…。どういったトリアージがなされるのか、恐怖を感じるようにもなりました。

こうして、ぼんやりとはじまった外出自粛。ロックダウンまではいかないけれど、一人ひとりが家でじっとしていることの意味を理解し、テレワークへと移行する企業が増え始めた3月末。いよいよ4月に日本もロックダウンするのではないか?という噂がまことしやかにささやかれはじめ、安倍総理や東京都知事の小池百合子氏が記者会見をするたびに、スーパーが大混雑という状況がはじまりました。

生鮮のお刺身売り場では空になった棚を撮影するサラリーマンの行列ができている場面も。普段、スーパーで買い物とかしないような人たちが、買い出しをするようになったのです。物流は動いているので、空の棚は翌日にはすぐに補充されるのですが、「モノがなくなる不安」を、3・11の震災以上に感じた経験でした。

これがコロナのまたいだ、1~3月にかけての私の見ていた世界です。また、その後の生活などについても適宜書き足していこうと思います。まさか、最初の徒然なる備忘録がこんな歴史的な大事件になるなんて。このサイトの運営を計画しはじめた昨年末には一切予想してませんでした。

タイトルとURLをコピーしました